ディープラーニングをたとえ話でわかりやすく解説! サルでもわかる人工知能

人工知能

A.I.だのディープラーニングだの、そんな言葉を最近よく聞くようになってきた。どうやら人工知能のことらしいが、よくわからない。なんでも人工知能がチェスや将棋で名人に勝ったなんて話も聞くが、それもディープラーニングなのだろうか? で、それってどういう仕組みなの?

以下では、文学部出身の私が可能な限りわかりやすく、簡単にディープラーニングについて解説してみたい。目標は、中学一年生でもわかる解説だ。

補足

タイトルには「サルでもわかる」と書いたが、それは無理だったので、サルの方はここで戻っていただきたい。

人工知能ってどんなもの?

人工知能というのは、生き物じゃないのに「考えている」ように見える機械のことだ。たとえばiPhoneのSiriに「好きな色は?」と訊くと、「少し緑がかった色ですが」などと、人間のように答えてくれる。パソコンの将棋ソフトも、考えながら次の手を指してくる。こういうのが人工知能だ。

また、A.I.というのは「アーティフィシャル・インテリジェンス」の略で、人工知能と同じである。英語と日本語の違いだけだ。

機械学習とディープラーニング

さて、人工知能の話になると機械学習とディープラーニングという言葉がよくいっしょに登場する。この3つはどう違うのだろう? 簡単に言うと、まず大きな括りとして人工知能があり、その中の一種に機械学習があって、さらにその中の優れたものとしてディープラーニングがある。

たとえるならこう。

  • 人工知能=果物
  • 機械学習=りんご
  • ディープラーニング=ジョナゴールド
フルーツバスケット

果物というのは幅広くて、バナナもあればイチゴもある。さくらんぼもあればメロンもある。中には野菜か果物か微妙なものもある。同じように、人工知能というのも幅広くてあいまいなところ。

その中のひとつの種類として、機械学習がある。これは果物の中のりんごみたいなもの。りんごも他の果物とは違う特徴があるが、機械学習にも特徴がある。それは、何かを分類するとき、自分で分類の基準を習得できるというところだ。

さらに、その中でもディープラーニングは優れている。ディープラーニングは、ひとつの基準でものを分類するだけでなく、いくつものステップを使うことができる。「ディープ」とは「深い」という意味だが、このステップ(階層)が深いために、そのように呼ばれている。

りんごの中でもジョナゴールドは甘味とすっぱさを兼ね備え、そのまま食べてもいいし加工してもいい優れた品種だ。ディープラーニングも、他の種類の人工知能と競い合って勝利してきたのである。

ディープラーニングの仕組み

果物・りんご・ジョナゴールドのたとえはそれぞれの関係を説明する上では有用だが、もうそれは忘れていただいて、次はディープラーニングに絞って仕組みを説明しよう。

まず前提として知っておいてほしいのは、ディープラーニングの開発が「画像の分類」を軸として行われてきたということだ。無数の新しい画像を機械に読み込ませ、それを分類する。その精度を、人工知能は競い合っていた。

そんな中で、ディープラーニングはすさまじい威力を発揮した。わざわざ人間が教えることなく、たとえば動物の画像を分類することができた。出来の悪い人工知能はイヌとキツネを同じ動物だと思ってしまったが、ディープライニングは「耳やしっぽのかたちが違う!」と気づいてその2つを区別した。また、別の人工知能は白猫と三毛猫を別の動物だと思ってしまったが、ディープラーニングは「毛色が違うだけでおんなじ種類だ!」と気づいたのだ(あくまで説明のためのたとえ話です)。

動物の分類の仕方には無数のやり方がある。色で分けたり、毛があるかどうかで分けたり、大きさで分けたり、エサや住んでいる場所で分けたりなどなど……。そういった分類の仕方をいちいち人間が教えることなく、ディープラーニングは自分で発見して、細かく正確な分類ができるようになったのである。

すごいぞ、ディープラーニング。

なぜディープラーニングが注目されたのか?

囲碁

ディープラーニングのことを理解するためには、これが注目された経緯についても少し知っておくといい。

きっかけは2012年、カナダにあるトロント大学教授、ジェフリー・ヒントンさんの作った人工知能が国際大会で圧勝したのである。他の人工知能が「う~ん、わからねぇ」と腕組みしつつ苦い顔で考えてるあいだに、ディープラーニングは涼しい顔で「これは猫。これは犬。ふふ、なんでこんな簡単なことがわからないのかなぁ」と言いながら優勝したのだ(あくまでたとえ話です)。

さらに、2015年にはアルファ碁(AlphaGo)という囲碁専用の人工知能がプロの棋士に勝ち、今年2017年4月1日にはポナンザが将棋の名人に勝った。こういったボードゲームでの人工知能の勝利も世間を騒がせ、注目を集めるきっかけとなっている。

人工知能の将来

このように優れた成果をあげつつあるディープラーニング、あるいはそれを含んだ人工知能というものは、この先どうなっていくのだろう? 結局のところ、人工知能というのは「人間の道具」である。何に役立つのかがポイントだ。

職場改善

たとえば会社の従業員の行動をパソコンに読み込ませる。すると、集まった行動パターンを人工知能が分析して、「この動きは効率がいい!」「こいつはムダな動きをしてる!」「○○課の田中はたばこばっかり吸いに行ってる!」ということが分かり、労働効率をアップさせられるかもしれない。

広告の最適化

お客さんの好みや状況に応じて、いちばんアピール力の強い広告を送る、見せる、ということも考えらえる。「この男は年齢の割に体重が重いな。ダイエットしたいと思ってるかもな」ということで、トクホのお茶のチラシとかが送られてくるかもしれない。Googleの広告は自分に性別・年齢・最近の好みを知ってるかのような商品が表示されるが、それも検索履歴などの情報を使って、ある種の人工知能が「これなんていかが?」と見せてきているのだ。

採用業務

会社で人材を採用するというのも難しいものだ。人事の「人を見る目」もどこまでアテになるか。そこで、人工知能の登場。候補者のさまざまな属性を入力し、アンケートなどに答えてもらい、そこからその人の優秀さ、入社後の働きを人工知能で占う。

テロ対策

無数の群衆の中から、特定の人物を見つけだす。もともと画像認識から発達したディープラーニングにとっては得意分野だ。テロリストが変装して繁華街を歩いていると、防犯カメラに映し出されたわずかな映像から、「こいつだ!」と見つけだすのだ。

以上、かなり現実的な活用方法をご紹介した。というか、もうすでに実用化しているので、さらなる発展・活用がなされていくだろう。

人工知能は人間を超えるか? シンギュラリティの問題

世界の終わり

さて、人工知能は「人間の道具」であり、役に立つことが目的だと書いた。実際、すでに役に立っている。しかし、その能力が人間を超えるとなると、ちょっと恐怖を感じないだろうか? そうなったら、人間は人工知能を備えたロボットたちに支配されてしまう気がする。

たとえば重機が人間よりパワーで勝っても、人間はさして恐怖を感じない。バイクや車が人間より速く走れても、「便利だな」と思うだけだ。しかし、人工知能となると、なんだか怖い。「自分で考える」存在というのは、なんだか暴走しそうだし、こっちが支配されそうなのだ。

そんな話はよくある。映画で言えば『ターミネーター』と『マトリックス』が代表だろう。あんなふうに、ロボットによって支配されたんじゃたまらない。

「そんな、人工知能が人間より頭よくなるなんてありえないよ」と思う方もあろうが、有力な研究者たちが「だいたい2045年くらいに人工知能は人間を超える」と予測しているらしい。この、人工知能が人間を超えるポイントのことをシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ぶ。決してSFの世界だけの話ではないのだ。

そうなったら、リビングでニュースを見つつ家族であれこれしゃべっているところへ、テーブルの上の人工知能が「それはね……」としたり顔で詳しくて鋭いことを言い始めるのだ。あるいはホンマでっかTVにも人工知能が出演し、他の教授たちを小ばかにしたようにその知識と鋭い考察を披露する。たまったものではない。

さらに、価値判断の仕方によっては、「人間なんか滅ぼしてしまおうぜ」ということにもなりかねない。人工知能の方が優れている時代になったら、「人間なんて全滅させて、自分たちでもっといい世界を作ろう」となるかもしれない。恐ろしい話だ。

最後に

なるべくわかりやすく、人工知能とディープラーニングについて解説してみた。多少なりとも、概要を掴めていただけただろうか。本文中で用いた例や比喩はあくまで説明のためのたとえ話であり、正確さはみじんもないことをお断りしておく。

ディープラーニングという技術によって加速した人工知能だが、現在の状況はちょっと騒がれすぎだというのが専門家の見立てである。数年前に3Dプリンターがもてはやされ、しかしその後ほとんど話題にもならなくなったように、人工知能ブームもすぐ沈静化するかもしれない。

ただ、一度静まったとしても、技術自体はどんどん進歩を続けるだろう。そしたら、事務的な作業は次々に人工知能がやれるようになり、人間は働かなくてよくなるかもしれない。私としては、人工知能を備えたロボットが無尽蔵に労働してくれて、人間はだれも労働せず、好きなことだけやって生きていけるようになる――そんな日を待ち望んでいる。