公明党はいつから与党なの? なぜ自民党と連立を組んでいるのか

国会議事堂

あちこちにポスターが張ってあり、毎日のように街宣カーを走らせている公明党。支持母体は宗教団体の創価学会だ。知り合いの学会員に投票をお願いされた方も多いだろう。この公明党、実は都道府県や市町村の議会も含めると、日本で2番目に多くの政治家を擁する大政党である。さらに、国政においても長年与党に入っている影響力の大きな政党だ。

はてしかし、この公明党、いつから与党にいるのか? なぜ自民党とくっついたのか? もし自民党が劣勢に陥ったら、次の国政選挙では他の政党と連携するのか? そんな疑問を考えてみたい。希望の党を台風の目とする2017年10月の衆院選でも、キャスティングボートを握るのは公明党かも。

公明党とはどんな政党なのか?

まずは基本情報をチェックしてみよう。公明党は仏教系の宗教法人創価学会を母体とする政党である。現在、自民党とともに与党となっている。代表は山口那津男だ。

党員数は平成26年時点で全国に41万人おり、衆議院議員が35人、参議院議員が25人いる。合わせて国会議員は60人だ。

公明党の議員数

しかし、すごいのは国会議員よりも地方議員の方である。その数を見てみよう。

  • 都道府県会 208人
  • 政令市会 202人
  • 特別区会 190人
  • 一般市会 1,911人
  • 町村会 420人

以上、合計 2,931人

そう、全国的に見れば、トータルで2,991人もの公明党の政治家が存在しているのだ。

ちなみに、他の政党の政治家(国会議員から地方議員すべて)の数を調べてみると、このようになっていた。

  • 幸福実現党 14人
  • 共産党 2,825人
  • 民進党 1,728人
  • 自民党 3,729人
補足
公明党以外は党の公式サイトを見てもはっきりした議員数が掲載されておらず、少し古い情報や断片的な情報から出した数字なので、参考程度に見てもらいたい。

さすがに自民党には負けるが、それに近い数に迫っている。共産党とはほぼ互角。

しかし、公明党の場合は多くの場合自民党と選挙協力をしており、3,800人ほどの自民党議員の中にも、公明党サポーターの票によって当選できた人がかなりいることが予想される。

公明党の集票能力は日本一

公明党の支持母体は宗教団体の創価学会であり、だからこそ、その集票能力はすさまじい。学会員は全国に827万世帯とされている。これはちょっと盛りすぎで、実際には250万人程度という意見もあるが、それにしてもすごい票田だ。

数も去ることながら、公明党の支持者は大雨だろうが雪だろうが寒波が来ていようが、選挙に行くと言われている。だから、投票率が下がるほど、公明党は有利になる。絶対的な数では自民党に及ばないが、いわゆるキャスティングボートを握れるわけである。

公明党の政策・理念

そういえば、公明党の理念とか最終的な目標は何なのだろう? 気になって調べてみたのだが、これという特徴的な理念・政策は見つけられなかった。一応、政策ビジョン「『新・支え合いの共生社会』の実現に向けて」から引用するならこうだ。

公明党の政策

公明党は、「誰もが、公平に良質な教育を受けることができ、使命と能力を開花することのできる社会」「正規雇用をベースとしつつも、多様な働き方が受容される社会」「ライフステージに応じた多様で豊かな人生を実現できる社会」をめざしています。つまり、格差が固定しない、一人ひとりが輝き活躍できる社会であり、その根底にある人間の尊厳を守り抜く「新しい福祉社会」の構築が急がれています。

時代の変化に合わせた福祉社会の実現。これが中心となる政策のようだ。

しかし、はっきり言ってこれはつまらなかった。自民党なら憲法改正、共産党ならその名の通り共産主義の実現という大きな目標がある。一方、公明党にはそういった特徴的な目標が、私の調べた限り、見られなかった。

与党公明党について

ここからが本題だ。いったいいつから、どのようにして、なぜ公明党は与党となったのか? 自民党が下野したとき、公明党もともに野党となっていたのか? そういった経緯を考えてみよう。

いつから公明党は与党となったのか

まずは公明党の歴史を軽く追ってみよう。

公明党の歴史【概略】

1961年、創価学会の第3代会長池田大作により作られたのが公明政治連盟。その後、1964年に公明党が創立される。

1973年には都議会で与党入り。1993年、細川護熙日本新党党首を首班とした非自民・非共産連立政権である細川連立政権に参画し4人が入閣する。ここで初めて国政の与党となる。

1999年、自民党と自由党の連立政権に参加、自自公連立政権が成立する。小渕内閣のときだ。

2003年、麻生内閣まで自公連立政権となる。

2009年、民主党による政権交代が起きる。自民党とともに公明党も惨敗。約10年間続いた政権与党から下野し、自公連立を解消。

2012年、自公政権が復活し、3年3か月ぶりにふたたび与党へ。ここから現在までこの二党で与党体制が続いている。

2017年、まだ記憶に新しいが、公明党は都議選において小池都知事率いる都民ファーストの会に選挙協力を行った。

ということで、公明党が最初に与党となったのは、意外にも非自民党政権だった細川内閣のときが最初だった。そのあと、99年の小渕内閣で自民党とともに与党となる。その後、2009年に自民党がボロ負けして民主党政権が誕生したときに下野するが、また2012年には自民党とともに政権与党に復帰している。

与党になったのが93年、自民党と組んで与党となったのは99年から。というわけで、思ったほど公明党が与党に食い込んだのは昔の話ではない。もっとずっと前から、それこそ自分が生まれる前から自公の連立政権はあったようなイメージを持っていたが、違った。

公明党が自民党と組んだ理由

選挙協力

では、93年には反自民の連立政権にまで加わっていた公明党が、そのあと長らく自民党と組んでいたのはなぜだろう? きっかけは、その理由は何だったのか?

身もふたもない話だが、やはり直接のきっかけは自民党が公明党の力を頼って、ということのようだ。単独で与党となる力のなかった自民党が、集票力に長けた公明党と組むことで、選挙に勝てるようになった。一方、公明党は大臣を排出できるようになった。

もともと公明党と自民党はそれほどカラーが似ているわけではないし、対立もしていた。自民党側から公明党へ「政教一致の政党だ」との批判が向けられたこともある。それでも、お互いの利害が一致して連立与党となった。

下地となったのは、細川内閣で与党入りした経験らしい。このときに大臣を4人出し、与党であることの強さ、有利さを経験したということのようだ。

私はまだ子供だったので、実感として知っているわけではないが、こういった流れがあったようである。

今後、公明党はどうするのか? 2つの道

さて、話を現在へと戻そう。公明党といって最近印象的だったのは、やはり今月の東京都議会選挙である。公明党は、小池都知事率いる都民ファーストの会に選挙協力をした。で、都民ファーストは6から55議席へと大きく躍進。自民は57から23議席となりボロ負け。公明党は22から23議席とほぼ維持。

公明党自体の議席はほとんど伸びていないが、しかし立候補者が23人なので、なんと全戦全勝である。無駄な立候補はせず、当選する人だけ出し、確実に当選する。なんという効率のよさ!

今回、都議会ではあっさり向かい風を吹いている都民ファーストの会に寝返ったので、やはり公明党は「勝つところに味方する」党のようだ。となると、気になるのは今後の国政選挙でどう出るか?

シナリオは2つある。

2つの道

引き続き自民党と組む

このまま自民党と組んで、まだしばらくは与党に残る。これは現実的だ。特に、2017年12月くらいに解散総選挙が行われれば、自民の支持率が下がっているといっても、まだ小池さんの党は国政選挙に対応できない。民進党は死に体である。となれば、まだ自民党が勝つ可能性が高いので、公明党は離れずにいてくれそうだ。

小池新党と組む

しかし、次の国政選挙が来年以降になった場合、小池さんの党も国政進出に向けて準備を整えてくる。都民ファーストの会が国民ファーストの会になるか、日本ファーストの会になるか、はたまた国民ファーストの党とかになるかは分からないが、とにかく小池新党が着々と力をつけてくる。そうなったら、公明党は小池新党と組んで、次の政権与党の座を狙うかもしれない。

何にせよ、非常にしたたかな党だ。基盤が創価学会にあって、その信者数もかなりの数であるから、簡単には揺らぎそうにない。

まとめ

そんなに政治に詳しいわけでもないのに、ちょっと背伸びしたことを書いてしまった。途中、ほぼWikipediaの丸写しであったことを、この場で謝罪したい。

ともあれ、簡単に言うとこういうことだ。公明党は93年の細川政権のときに与党にはじめて参画。自民党とは仲が悪かった。しかし、99年の小渕内閣のときに自民党・自由党とともに公明党も与党に入り、ここから長い自公の連立政権が続く。

途中、2009年に民主党が政権を取ったときには公明党も自民党とともに野党となるが、3年ほどでまた自民党とともに与党に返り咲き、いまに至る。民主党政権時代には民主公明の連立も模索していたようだが、結局そうはならなかった。

自公の連立は思ったほど長い歴史があるわけではないが、むしろそれだけに、公明党はできるだけ与党に留まりたいと思うだろう。これまでの経緯からしても、政策や目標に照らしても、自民党と組む理由は選挙協力以外にないので、他に強い党が出てきたらそちらへ行きそうだ。