映画『犬ヶ島』の感想|君は黒澤・小津・宮崎の元ネタを見抜けるか?

ウェス・アンダーソン監督の『犬ヶ島』という映画を観てきた。初公開が5月25日だったのだが、私の近くの映画館では字幕版がなんと今日で最終日。駆け込みだった。

その感想と考察を書き留めておこう。

映画『犬ヶ島』の基本情報

『犬ヶ島(Isle of Dogs)』の監督はウェス・アンダーソン。現在49歳のアメリカの映画監督だ。代表作は『グランド・ブダペスト・ホテル』。左右対称かつポップでカラフルな画面が印象的な作品作りを得意としている。

今回の作品の最大の特徴は、全編がストップ・モーションという手法で作られているところ。つまり、人形を使って写真撮影をし、それを高速紙芝居のようにして動いているように見せるというやり方をしているのだ。

メインの登場人物が「汚れた犬」なのだが、そのボサッとした毛並みや風になびく感じまで表現されていてすごかった。

また、この作品は日本を舞台にしている。場所はウニ県メガ崎市である。主人公の少年は小林アタリ。随所に日本文化や日本映画の要素が詰め込まれていて、日本人にとっては独特の面白さがあった。

『犬ヶ島』のストーリー

ストーリーはこうだ。ウニ県メガ崎市の市長が犬たちをゴミ島へと追放。その第一号として、自宅にいた犬・スポッツを送り出す。だが、その主人であり市長の養子であるアタリ少年12歳が単身ゴミ島へと渡る。

ゴミ島では5頭の犬たちがいて、アタリ少年に出会う。「食っちまうか?」と相談していた彼らだったが、アタリが飼い犬を探しにやってきたことを知り、ともに飼い犬のスポッツを探しに島の奥地へと捜索の旅に出る。

一方、メガ崎市では市長がさらなる悪巧みをしており、ゴミ島の犬たちをすべて抹殺しようと計画していた。知らず知らずのうちに、犬たちに最大の危機が迫る。だが、アタリのクラスメイトである少年少女たちは独自に市長の不正を追及しており——さあ、アタリと犬たちの命運はどうなる!?

だいたい、こんな感じのストーリーである。

印象的だった部分

ここからはネタバレも含むので、ご注意を。

さて、『犬ヶ島』で印象に残っているシーンや構図、音など、思いつくまま、備忘録的に書いておこう。

1:独特のヘンな日本語

20年後の日本が舞台ということだったが、近未来というよりはパラレルワールドの日本という感じだった。日本っぽいのだけれど、日本人からするとどこかヘンで、そこがよかった。

舞台は「メガ崎市」である。なんだか非常に語感がいい。しかも、「メガ」は縦にギュッと一語に書かれており、「希」みたいな漢字に見えるのだ。このセンス、たまらない。

主人公の名前は「アタリ」で、これも絶妙にヘン。「アタル」ならいるけど、「アタリ」という名前の日本人はいそうで聞いたことがない。昔「ATARI」というゲーム会社がアメリカにあったらしいが、そこから採ったのだろう。

2:日本文化のコラージュ

古い日本文化が随所に出てきて、コラージュのような様相を呈していた。本編とあまり関係なく、ほぼ不要なのに相撲や歌舞伎が出てきたり、浮世絵が頻繁に使われていたり、主人公は飛行機を操縦してたのに下駄を履いていたりした。

中でも白眉は寿司を作るシーンである。ここはもう、まったくなくても問題ないのに、生きてる魚やカニ、タコをさばいて寿司を作る様子を長々と生々しくストップ・モーションで表現していて、思わず「何を見せてとんねん!」とツッコミたくなってしまった。

3:横向きの移動

この映画は1人と5匹が旅をする部分がメインである。そのため移動シーンが多いのだが、彼らが画面左から右へ等間隔を置いて動くという場面が多かった。

左から右への移動。移り変わる全景と背景。これはかなり、ファミコンからスーパーファミコンの時代のアクションゲームを思わせるものがあった。スーパーマリオやスーパードンキーコングの横スクロールだ。

こういう構図での撮り方は映画に元ネタがあるのかもしれないが、私としては横スクロールのアクションゲームのように感じた。

4:近い人物と遠い人物を1画面に

画面で言うと、左側の近い位置にだれかがいて、右側の遠い位置に他の人(または犬)がいるという絵も多かった。遠近が全然違うので、近い方の人(または犬)は巨人(または巨犬)のように見えるのだ。

5:物音と音楽の融合

この映画の中では時計のチクタクいう音や救急車のピーポーもただの物音ではなく、一つのBGMとして扱われていた。最初はただの物音かもしれないと思うのだが、やがてBGMとシンクロしたり、登場人物たちの感情の動きによってチクタクがはやくなったりする。

6:画面の左右2分割

画面を真ん中で二つに割って、左と右で同時刻に起こっている別々のことを写すというやり方も何度かあった。これは他の映画ではほとんど見たことがない映像の作り方だった。

7:逆光による輪郭の表現

登場人物に後ろから光を当て、輪郭だけ光らせてシルエットを浮かび上がらせる。目だけ光らせる。こういう演出も多かった。

8:チーフとナツメグの最初の会話

野良犬のチーフと元ショー・ドッグのナツメグが最初に会話するシーンは非常に印象的だった。チーフは不躾にも(だが悪気はなく)、初対面のナツメグに誰かと交尾しただろうという話題を振ってしまう。ナツメグはちょっと不機嫌になり立ち去ろうとするが、チーフは「(会話を)やりなおそう」と言ってさらに話す。

そのあと、2人は過去の話やアタリのことについて話すのだが、このときの会話が現実にありそうな会話でとてもよかった。まったく説明的ではないし、ストーリー進行のためでもない、まさに男女の会話そのものを切り取ったかのようだったのだ。

会話シーンはこうあるべし、と感銘を受けた。

9:意地悪そうな猫

この映画は犬が主人公で、猫はほんの少ししか画面に映らない。それでも、悪役たちの側にいる猫たちはいかにも悪そうな顔をしていたのが面白かった。

たしかに、犬は善良で少年の味方という感じだが、猫は犬たちを馬鹿にし、しかも子供より年寄りの方が好きだ。悪いこともよくする。フィクションにするなら悪役の方が似合う。

『犬ヶ島』に詰め込まれた日本映画へのオマージュ

この映画には、日本映画へのオマージュが随所に詰め込まれているらしい。「らしい」というのは、自分にはそれがよくわからなかったからだ。だが、パンフレットの情報などから、たとえばこんなものが元ネタになっているらしいとわかった。

元ネタ
  • 黒澤明監督作品
  • 小津安二郎監督作品
  • 宮崎駿監督作品
  • 昔の特撮怪獣映画
  • 大友克洋
  • 三船敏郎・志村喬・仲代達矢

たとえば「トシロウ」という名前が出てきたり、悪役である市長の外見がまんま三船敏郎だったり、そういうところはまだわかった。が、黒澤作品は食わず嫌いで見ていなかったため、細かいところはまるで気づかず。

いま慌てて黒澤作品を視聴し始めてはいて、3本ほど見たのだが、それでもあまりわからない。自分の鑑賞眼のなさにちょっと失望してしまう。

だが、もっと悔しいのは宮崎アニメの要素が見抜けなかったところだ。宮崎駿の長編アニメはすべて見ているのだが、どこが犬ヶ島に反映されているのかさっぱりだった。

たぶん、直接的な設定とかキャラクター造形というより、映像の作り方などに宮崎エッセンスが反映されているんだろうと思う。もしくは音とか、音楽の使い方とかかも。そういう部分まで見抜けるといいのだが。

小津映画については、会話シーンの撮り方がちょっと小津っぽいのに気づいた。つまり、しゃべっている人物だけを正面から撮るという方法だ。これはわかった。

この表現方法はヴィンセント・ギャロの名作『バッファロー’66』でも使われていた。いまの日本人で小津映画が好きという人はそんなにいない気がするが、アメリカの映画監督への影響は思ったより大きいようだ。

古い怪獣映画についてはまったく観たことがないので、チンプンカンプンである。

で、結局『犬ヶ島』は面白かったのか?

肝心なことをまだ書いていなかった。この映画が面白かったかどうかだが、まあ面白かった。観て損はまったくない。

とにかく映像が美しいし、テンポがよく、音楽と効果音も小気味いい。目と耳、両方からの情報で幸せな気分になれる。

だが、「超面白かった」とまでは言えない。

まず第一に、自分は犬がそんなに好きではない。完全に猫派なのだ。だから、犬が主人公という時点でそこまでテンションが上がらない。

あとは、ストーリーにいまひとつ乗れなかった。市長が犬たちを排除し、圧政を敷く——これは各国で起こっている移民排斥とナショナリズムの高揚を描いていて、現代的テーマなのだということかもしれないが、それでもあんまり乗れなかった。

最近の映画は差別反対とか平等とか、そういうのが多い気がして、正直ちょっと飽きている。正しくて大事なことを言っているのだとは思うが、「もうわかったよ」と思ってしまう部分がある。

最後に

映画『犬ヶ島』の感想を綴ってみた。気になったのは元ネタの部分だが、これは勉強不足で全然わからない。今後は黒澤映画をはじめ、日本の古い映画を意識的に見るようにしていきたい。